第6回 地球体験ペダリアン大賞特別賞
JACC創設40周年を迎えた2019JACC新年会(於ホテルクライトン新大阪)における第6回「地球体験ペダリアン大賞」の授賞。読売新聞大阪本社写真部記者の尾賀聡会員(豪一周10数年後に「くれーじー・ばいきん、オーストラリアを行く」著、定年後の台湾行「美麗島・台湾自転車紀行」著の神谷昌秀(福岡)、世界一周を遂げた愛媛の後藤正敏、北中南米縦断の小林順一評議員(福井)、世界一周・自転車環境研究家・元月刊「ニューサイクリング」エッセイストの鈴木邦友評議員(東京)、世界一周・中学美術教師で大相撲高見盛活躍時代に永谷園会長の叔父にJACC機関紙
「ペダリアン」への広告を取り付けた永谷彰朗元評議員(滋賀)らを迎え、「大賞」の経緯説明が中西大輔国際部長(世界130カ国15万kmを走破し、09年に第4回「ペダリアン大賞」・第14回「植村直己冒険賞」受賞、「世界130カ国自転車旅行」「放浪哲学」等著)によって行われた。
選考委員会により、「行きっぱなし」世界一周9年4カ月、115カ国12万1473kmを走破し、韓国釜山から18年9月28日に福岡・博多に帰国した東京の出堀良一会員(33)は大賞には至らなかったが、日本人「行きっぱなし」達成記録2位となる活躍が評価され「地球体験ペダリアン大賞特別賞」の授与となり、JACC創設者の池本元光代表(「世界ペダル紀行」著他)から賞状とクリスタル盾、副賞に特製ロードバイクが贈呈された。
第5回
幻の第5回地球体験ペダリアン大賞
2016年、タイのムー・オートーンさん(44歳)とワンさん(45歳)夫妻(2001年11月~2007年11月、タイ人初の世界一周43カ国4万kmを走破。「夢を叶えた自転車による2000日世界一周」全4巻出版)は、一周後7年半の2015年夏からスワンナプーム等主要国際空港ロビーで世界一周展を開催(日本の日経新聞にあたる新聞社が大々的に応援)。この類を見ない大活躍は下記ペダリアン133号5面、134号4面において、その活動の経緯、その活躍の意義が大賞に値する詳細を掲載した。が、夫妻への大賞授与が叶わず、幻となったことは誠に残念であり、夫妻の栄誉を2016年「幻の第5回地球体験ペダリアン大賞」として栄誉をJACCは称えることとなった。
ペダリアン133号5面
ペダリアン134号4面
第4回
2004年、第4回「地球体験ペダリアン大賞」選考委員会は候補者の推薦及び選考を始め、検討を重ねるも大賞該当者不在のまま2009年JACC創設30周年を迎える。第3回の待井剛受賞以来、11年の経過に相応しく多方面から検討を重ねた結果、世界130ヵ国15万1849kmを走行した中西大輔(39歳)のグローバルな活動が高く評価され決定に至った。
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この第4回「大賞」に向けての11年間、次の体験者が候補者として推薦されていた。
1.7年6ヶ月世界85ヵ国9万5000キロを走破し、ロンドンの日本語情報誌「週刊ジャニー」にエッセイ270話を連載した和歌山の石田裕輔さん。
2.厳寒のシベリア横断1万4927kmを走破し、第8回「植村直己冒険賞」に輝いた神奈川の安東浩正前評議員。
3.世界77ヵ国10万8618km走破の途上、パキスタンで子宮ガンに伏し、豪のパートナー、スティーブさん(現夫)と急遽帰国した大阪のシール・エミコさん。
4.世界43ヵ国、5万5000kmを走破し、旅先で救命を受けたギニアに井戸を建設したミキハウス勤務の坂本達さん(大阪)。
5.ケニア~南アフリカ8ヵ国5000kmを女性で単独走破した大阪外大生の山崎美緒さん。
6.タンデム自転車で世界88ヵ国10万5805kmを走破した愛媛の宇都宮一成・トモ子夫妻。
7.ユーラシア24ヵ国1万3500kmを女性で単独横断した大阪の松尾由香さん。
8.アルゼンチン青年として初のアフリカ縦断(モロッコ~南アフリカ)16ヵ国2万1650kmを走破したルイス・ラシアルさん。
JACC日本国際自転車交流協会が発信する「平和と友好の地球体験」を深める銀輪大使として類を見ない活躍を果たした中西大輔さんは、南米ボリビアやペルーなどでは功績が称えられ、名誉市民・名誉州民章を4回受章し、ポーランドのマルボルク市長やチュニジアのサイクリング連合会長からJACCへの友好親書を受け、スペイン、フランス等で講演会を行うなど、その友好平和活動は各地の新聞紙誌が取り上げている。それらの活躍は第4回「地球体験ペダリアン大賞」に相応しい内容で、30周年を迎えたJACCの記念セレモニー(2009年10月11日於ホテルクライトン新大阪)で、藤木高嶺JACC交流協会代表理事より大賞を受けた。 |
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また、第4回地球体験ペダリアン大賞特別賞を、エミコ・シールさんが受賞。子宮ガンの宣告を受けた後、3度の復活旅を遂げ、女性として11万余kmを走破。世界一周完結旅を前に再度、再発が襲い厳しい治療に専念中。
第3回
第3回は、候補には盲導犬普及を訴え日本縦断(1997/7~8)した東京の池内志織さん(12)、一輪車で日本一周(1997/6~8)した東京の市山研君(12)らの年少者としての勇気と行動力が評価され
また、臓器移植の意思表示カードを配りながら日本縦断(4/4~7/21)した大阪の看護師安田志津さん(24)と金子聡美さん(24)、脳性まひ児救済募金を訴え17カ国目(1991/11~1998/6)の日本に来日し、日本一周した英国のクレイグ・ウォーカーさん(31)らの福祉マインドが高く評価された。
そんな候補者の中から、長野県の待井剛さん(30)が選考された。世界100カ国10万km走破を目標に、まず日本一周(1988/4~10)し、旅費1000万円を貯めるため佐川急便ドライバーとして一心腐乱に働き、堅実な計画の運びで、果てしない未知の世界にチャレンジ。
地元紙「信濃毎日」に182回の連載を重ね、117カ国11万6780km(1992/4~1998/5)を走破し、5月12日、6年ぶりに帰国した。 |
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今回の大賞選考は、2カ国5組6人が対象となり、中でもとくに計画性、行程、周知の点で優れた待井さんの日本人初の偉業で、悲願であった100カ国オーバーの記録が満場一致とするところであった、と竹沢荘一代表、武澤勇近畿地区支部長から選考説明が行われた。
自転車地球体験で、日本人にとってこの100カ国歴訪がいかに困難であるかは、昭和39年(1964年)の海外渡航自由化以後をみても、誰ひとりとして果たすことができなかったのである。
いわば、レベルに違いはあってもヨット世界一周やエベレスト登頂よりも、自転車100カ国走破は、強盗、病気、交通事故等、多方面において困難を超越する必要をも強いられ、まさに“人いきれを駆け抜ける”行動は、危険も多く「冒険とは生きて帰ること」を物語るかのような行為で、待井剛さんが実践した117カ国走破は、実に5年に一度の地球体験ペダリアン大賞に相応しいといえる。
贈呈式は、受賞者待井剛さんの打ち立てた前人未到の“6年間世界117カ国11万6780km走破・夢と感動の世界と仲間たち”として「アドベンチャー・サイクリスト展」(10/1~11/3)を開催した大阪・関西サイクルスポーツセンターで1998年10月11日午前11時から行われ、河野兵市評議員(日本人初の北極点単独徒歩到達者)がプレゼンテーターとなり「大賞」を授賞、栄誉を讃えた。
「出会いが宝」――と込み上げる感涙をこらえながら謝辞を述べた待井剛さんが印象的だった。
第2回
第2回は、候補に挙がったスイスのハイジ・トリエットさん(32=女性、中南米の孤児救済が目的)、英国のソフィ・レイノルズさん(23=女性、エチオピア・エリトリア地区難民救済が目的)、仏国のベネディクト・ストームさん(29=女性、看護師)、米国のジョセフ・ハーネスさん(62)、同パット・パターソンさん(50)、独国のバーンド・シューベルトさん(38)らの世界旅行。
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そして、日本の川端裕介さん・るり子さん夫妻(共に34、シルクロード完走)、松島章君(15、56インチ一輪車米大陸横断)、中務顕貴君(12、日本縦断)の6カ国10名の中から選考を重ねた結果、北海道旭川市立陵雲小学校6年、中務顕貴君が夏休みに敢行した最年少日本列島縦断(1992年7/16宗谷岬~8/21佐多岬間2897km)に贈ることを満場一致で決定。
中務少年の周到な準備による“勇気”と“行動力”は、多くの人々に感動を与え、チャレンジ精神の大切さを広く知らしめた活躍(多くの新聞、テレビ等が報道。
92年12/23、ユニセフ大使の黒柳徹子さんの希望で「徹子の部屋」TV朝日にゲスト出演)は大変意義深く、選考委員が素直に受け止めた大きな理由でもある。
贈呈式は3月28日、東京・科学技術館で開催中の「アドベンチャー・サイクリング・フェア」(主催/財団法人日本自転車普及協会・財団法人日本科学技術振興財団、後援/日本自転車振興会・財団法人自転車産業振興協会・社団法人日本自転車工業会・財団法人日本サイクリング協会、主管/JACC)会場で挙行、栄誉を讃えた。
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第1回
第1回の自転車地球体験最高の栄誉は、9カ国の候補者から台湾の青年で初めて世界走破(84/3~87/7、5大陸40カ国4万2千km走破)を果たした胡栄華さん(当時35歳、大衆紙「民生報」の支援をとりつけ、同紙に連載。訪問各国で友好の旅を紹介。帰国後、手記『単騎走天涯』全4巻を出版。台湾最大の食品会社統一公司の協賛によって台湾各地の学校、職場等で250回以上の講演活動を展開。その活躍が若い世代への模範をなし、社会へ良い影響を与えた功績が高く評価され、中華民国青年章、体育協会章、台湾国際青年会議所87年度優秀10大傑出青年章等に輝く)へ1989年贈呈。
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