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このまま一生終わるのか?から

「初陣!小豆島・吉田康彦 豪横断パースへゴール!」を振り返る

 
                                 パースへゴールした吉田

吉田康彦(81/11生まれ、05/7入会、香川県小豆島)

20079月~10(シドニー~パース横断)

 

以下は吉田が帰国後の0710/31にJACCへ寄せた報告書である。

 

出発までの経緯

 6月半ば、昨年8月に会社が閉鎖され下請けで働いていたが、どうも毎日が納得できなかった。

 このまま一生終わるのか?

 そんな時、池本さん(JACC代表)に電話をし、海外へ行きたいことを伝える。

 すると、数日後の6/23、台湾遠征に始まる39年ぶり3分割世界一周の壮行会があることを聞き、出席することにした。

 そこで小森さん(和歌山、JACC評議員、世界一周経験者)や世界を目指す坂本君(奈良、南米経験者)らと話しているうちに心は決まっていた。

 また、池本さんの世界再挑戦の計画を聞いていると、さらにやる気が伝わってきて、自分にも出来るかもしれない。どこか旅したい!! そう思った。

 その7日後、6/30付で会社を辞めた。

 やると決まったら、行動は早い。事務局長の出口さんのショップ銀輪亭で自転車を誂えてもらい、たくさんのアドバイスを受けた。

 7月末には、高松市内の下宿先も引き払い、小豆島の実家に帰った。

 8月、1週間。そのランドナーで四国カルスト越え600キロのトレーニング旅。1400m近い峠を何本も越え、ある程度の自信をつけた。

 そして、9/3のシドニー行きのチケットを購入し、出発の日を待った。

 英会話は、まったくダメだが、そんなの後回し。とりあえず日本を出てみよう!! 行ってから考える!!

  こうして僕の初めての海外長期遠征は始まった。

 

オーストラリア横断ドキュメント

 9/3日本を出発し、翌4日シドニーに入った。

 早速、有名なオペラハウスへ行くがAPECのため、残念ながら近づけず遠見の見物。そして5日、早くも行動開始に移る。国道32号のミッチェルハイウェーを横断するため、シドニーを後にした。

 ブルーマウンテンの山越えに入ったが、連日の大雨と霧、朝晩の寒さ(5℃)に参ってしまった。太陽よ!早く顔を出してくれと頼む思いだ。山の天候は変わり易く、雨は6日間も続いた。

景色は「アウトバック」と呼ばれる砂漠地帯に変わった。生い茂るユーカリ樹のジャングル。赤茶けた広漠たる大地。続く一本道。ようやくオーストラリアらしくなってきた。

 しかし、そのアウトバックこそ、自転車の敵であった。それはパンクである。路肩に転がる無数の植物のトゲ。ほぼ毎日パンクする。多いときは、いっぺんに5カ所。前後ともパンクするときもあった。20カ所以上、トゲに刺された。おかげでチューブは、継ぎ接ぎだらけ。パッチも半分に切ったり、3分の1にしたり節約。予備チューブさえ危うい。もう泣きたい思いだった。タイヤの細いランドナーは、失敗だったかな?と不安がよぎる。

 それに加え、強烈な向かい風に横風。初めて経験する大陸の風は、容赦なしだ。もう勘弁してくれ、と叫んでいた。たまに車が止まり、親切にも「乗っていかないか?」と言ってくれるが、丁寧に断り自走を続けた。

 何が何でも、どうしても自分の力だけで横断したい!!

 9/26いよいよ難関のナラボー平原に突入する。気温は1530℃前後で良いのだが、風は、またまた向かい風で強い。セルフタイマーで撮影中、三脚ごとカメラが飛ばされ、レンズにキズ(現像してみたが写真は無事だった)。また、不注意で財布を落とし、50キロを引き返したりとアクシデントが相次いだ。

 食料は十分用意したが、向かい風のせいでかなりの労力を使い、腹が減って、減って仕方がなかった。チョコバーも1日5~8本、コーラ2アイス2本を食べる。ロードハウスで補給するが、へき地のためか物価は高い(板チョコ1枚9ドルもした!!)。糖分の過剰摂取か?鼻をかむと真っ赤っ赤。鼻血だ。しばらくそんな状態が続いた。

 ナラボー平原では、モーテル泊しないと決めていたが、中間地点ぐらいにあるマドゥーラではたまらずベットイン。連日の向かい風と疲労でクタクタだった。もう早くここを抜けたい、1日も早く……そればかり考えるようになった。

そして10日後の10/5、ナラボーの西の入り口ノースマンの町に到着。出国してから1カ月ぶりに肉と米を口にした。そして思った、やはり日本人は米だ。ナラボー横断は、達成感よりはホッとした感じが強かった。

ノースマンを出ても、また向かい風である。いつまで俺を苦しめる気だ!! 毎日ペダルを漕ぐのがイヤになる。でも不思議なもので、朝起きると「今日もやるゾッ!!」と気持ちが入る。途中、世界一周中で埼玉の浅地亮君というサイクリストに会う。北米、南米を走り、豪一周中であった。自転車のフレームが折れて、新車になったばかりだという。いろいろ話を聞いていると、こっちも気合いが入る。日本語が恋しかったからかもしれない。もう少しだ!!

カルグーリー~ウェーブロック~ヨークと寄り道をしながら10/17、念願のパースに着き、約6年越しに夢はかなった! 

19歳のとき、小豆島を出て初めて自転車で四国一周の旅をした。その時、オーストラリア横断を将来の夢としていたので、ここが6年間思い描いていた夢の到達地なのか……、そう思うと感無量になった。

実現は夢の夢の、また夢だと思っていた。それが、今ここに立っているのだ。やったゾ!! やったゾー!!

しかし、身体はクタクタのボロボロだったが、まだビザに1カ月の余裕があり、豪縦断かどこかを走ろうかとも思ったが、内陸部は40℃近くもあり、もういいやと諦めた。別にエアーズロック見なくても、コアラを抱っこしなくても、美味しいものを食べなくても、豪の大自然や人々の優しさを肌身で充分感じとれた。普通の観光旅行者よりも、ずっと良いものを見聞できた。

そして、最後ぐらいちょっとリッチに良いホテルで……と思ったが、観光客が多くどこも満室。結局、30キロまた戻り、キャラバンパークでテント連泊。10/21の離豪まで滞在した。

それにしても、世界一周クラスの旅をするサイクリストはスゴイ!!と改めて思った。

 
                       ナラボー平原横断で出会ったサイクリストと

総括・感想

英語の問題

今回行く前からの悩みごと「英会話」は不安の種であった。がしかし、3日ぐらい経つとそんな悩みは吹っ飛んでしまった。英語なんて喋れないで当然だ……と、英語教師じゃあるまいし、大卒でもない。上手く喋ろうと思うから、いつまでもできないのである。カタコトでいい、下手クソでいいから、自分から喋っていかないと前に進まない。何せ一人なのだから。旅行会話程度でも十分に交流、生活はできた。そのようなものは、日を重ねると慣れてくるものだと実感した。

 

出会い・親切

 この旅は“一期一会”、出会いの繰り返しだった。毎日、何台もの車が「グッドラックサイン」を送ってくる。パッシング、クラクション、ピースサイン、人差し指を立てたり……はたまた、列車まで汽笛を鳴らし、応援してくれた。

 これはオーストラリア人の一人ひとりが自転車旅行、キャンプ等のレジャーに理解、関心を持っている証拠でもあり、また、いい旅をして欲しいという現れでもある。

 パンク修理をしていると何台もの車が止まり、水はいるか?乗っていかないか?と気にかけてくれる。本当に感謝のしようがないくらい、親切・やさしさに溢れていた。そんな人々との出会いによって僕は、豪横断が出来たのではないか。

 ありがとう!!  豪の皆さん!!

 

自転車

 当初、MTBで行こうかと悩むが、出口事務局長の薦めで旅自転車の元祖ランドナーで行くことになった。アウトバックではパンクに悩まされたが、それでも重い荷物を積んで頑張ってくれた。

 途中、フロントキャリアの取付部のナットを紛失し、ガチャガチャと音鳴りが激しく、モンキーレンチで道路標識のナットを外して拝借、代用させて貰った(スミマセン)。

自転車旅行はMTBの波と共に、タイヤ等の互換性の面でもMTBが主流となってきて、ランドナーは古臭いかもしれない。しかし、その機能美あふれる構造は、海外を走って思ったのだが、どこか日本人的情緒を感じさせる。

それはその昔、夢を持った多くの日本人、またはJACCペダリアンらがランドナーを駆って、見知らぬ世界へ勇躍チャレンジしたイメージがあったからかもしれない。自分もなにか、その伝統?を引き継いでいるようで、嬉しい気分である。

 
                                      豪横断遠征の記録

すべてに感謝

 帰国して、10日あまり経つ。

 旅しているときは、辛くて止めたくなる時もあった。こんなことをするのが俺の夢なのか? その繰り返しだった。そんな時、あの偉大な植村直己さんの言葉を思い出す。

 「夢の大きさでなく、その夢が実現出来たかでもない。その夢に向かって、どれだけ心をかけれたか? その夢に向かって、熱中、努力する心が大切だ。結果ではなく、経過が大切だ」と。

 南米、アフリカに比べると豪横断など冒険的レベルは低いかもしれない。けれど僕にとっては、大きな夢であった。それが叶った今、とても満足している。道中、毎日いろんな人に出会い、世話になった。一日一日が大事だったと改めて思った。すべてに感謝だ。

 JACCに入らなければ、この夢の実現は不可能だったかもしれない。他の会員の皆さんのアドバイスを直接聞けなくても、JACCに入っているという誇りだけで、僕は夢に近づけた気がする。

 また「ひとつの旅を単なる自己満足で終わらせてはいけない」と鈴木さん(東京、JACC評議員、世界一周経験者、自転車環境研究家)の文(ペダリアン101号に掲載)を読み、そう思った。自分の経験を何らかの形で、社会活動に役立てなければ。そこが、一般サイクリストとJACCペダリアンの一番の違いだと思う。終わってからこそが、JACCの本来の目指す役目だと。

 最後に、豪で出会った人々、小豆島の友人、家族、餞別を持たせてくれた親戚の皆さんに改めて感謝したい。

 そして、僕をやる気にさせてくれた池本代表はじめ、他の会員の皆さん、自転車を誂えてもらった出口事務局長にお礼を申し上げたい。本当にありがとうございました!!

 

「JACC」について思うこと

~例会等に参加しづらい、遠方会員の立場から~

 遠方ゆえに2回か3回ぐらいしかJACCのイベントに参加しておりませんが、「例会のみがコミュニケーション」と言われると、私たち遠方の会員は見捨てられたも同然なのでしょうか? 「JACC」は単なる肩書きに過ぎないのでしょうか?

 それはまったくの大間違いです。JACCは大学のサークル、芸能人等のファンクラブではありません。仲間内だけで何かやろうというご近所クラブではありません。

 池本さんや鈴木さんら理解ある皆さんの言う通り、会員の誇りを持ち、少しでも社会活動に参画し、繋がりを維持するのがJACCだと思います。

 「JACC」は、自転車冒険と国際交流、平和を愛する会員が一人でもいる限り、永久に存在するでしょう。いや、夢を持っている限り……。

  



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