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アメリカ横断 トレーニング


 アメリカ横断 12日目
 

※日中の気温が45度を記録した猛暑のアメリカ合衆国カンザス州より、ランニング中の高繁勝彦会員から体験レポートが届きました。高繁さんのチャレンジはアメリカ西海岸ロサンゼルスから東海岸ニューヨークを目指してバギー(ジョギング用ベビーカー)を押して、平和を訴えてのアメリカ合衆国ランニング横断です。(2011年8月1日)


           「PEACE RUN2011アメリカ横断5,000キロランニングの旅」その1

                              アドヴェンチャー・ランナー 高繁勝彦




5月25日にスタートしたこの旅もはや2ヶ月を経過。

カリフォルニア州ロングビーチ(ロサンゼルス郊外)からの走行距離は2500kmに達した。

その間にランニングシューズ2組を履きつぶし、現在は3組目。

バギーのタイヤは2500km走ってついに後輪に亀裂が入り交換。

1日あたり40~60km、愛車バギーのMUSASHI号(26kg)に生活・キャンプ用品(22kg)、食料(10kg)、さらに10~15リットルの飲料を積んで、それを押してのランニングの旅。

ロサンゼルスを離れ、熱く乾いた不毛の地を延々と走る砂漠の旅を終えれば、次は標高3000mの峠を越えるロッキー山脈の旅が始まった。勾配7パーセント程度の坂をバギーを押して歩くだけで、腕や肩、腰にどどっと疲れが集中する。自転車以上に登りは厳しい。それでも3309mの峠、ウルフクリークを制覇した後は、気持ちのいいダウンヒルを楽しめた。

ロッキー山脈より東に広がる大平原に入ると、道は平坦になったものの、今度は40度を超える熱波に見舞われる。10~15分走るだけで頭がくらくらしてくる。こまめに水分を補給し、日陰があれば必ずクールダウンするために休憩を取る。これまでの砂漠でのランが多少なりともいい経験となった。

次の町まで20kmや30kmというのは当たり前。場合によっては50~60kmというのも珍しくはない。食料や水はこまめに確保して決してストックがなくならないように気をつけなくてはならない。

120km町のないハイウェイはさすがにこたえた。ボトルのスポーツドリンクや水はお湯になってしまって、どれだけ冷たいものが飲みたくても店がなければどうにもならない。

2日がかりで走り切って、町が見えてきた時には涙が出そうになった。

楽なことなど何ひとつない、過酷なだけの旅かと思いきや、さまざまな出会いが旅の疲れを癒してくれる。

ハイウェイ上で車がいきなり止まって、冷たい水や食料をくれたり、お金を差し出してくれたり、世界中から来ているアメリカ横断中のサイクリストたちとの交流も多々あった。

旅を通じて世界平和をアピールすることが自分の使命でもあるが、見ず知らずの人々に支えられ、言葉を交わし、これまで苦難や試練を乗り越えることができたと思っている。

ビザを取得していなかったので滞在90日の期限が切れる前の8月半ばに一時帰国する。そして、9月に入り熱波が収まってから旅を再開するつもりだ。

出会いと別れを繰り返し、アドヴェンチャー・ランナーの走り旅は続く。(続きはブログで KAY’S BLOG


 砂漠地帯を進む(アリゾナ州)


 灼熱の大地(ユタ州)


26kgのバギーには40kg超の装備を積んでいる   親切な人々との出会いに感激(コロラド州)


  ニューヨークへの道はまだまだ続く・・・(カンザス州)

「ピースラン プロジェクト」

仕事を辞めた去年(2010年)3月以降、自分は世捨て人のような存在だった。しばらくは旅に出ようと思って、再就職については全く考えていなかった。睡眠障害をわずらっていてそれどころでもなかったのだ。

2010年7月に日本縦断の旅に出て以降、いろんなことが変わっていった。旅に出たことで、自分の生き方の指針が徐々にはっきりしてきた。

日本縦断ランニングの旅の次はアメリカ横断・・・というプランもあったけれど、その後にはまた教壇に戻るつもりをしていた。私の両親もそう思っていたはず・・・。

ところが、旅をしているうちに、だんだんと自分の昔を取り戻し始め、本来の自分が何をしたかったのかわかってきたのだ。自分が何をするためにこの世に生まれてきたのか・・・ということも。ありきたりの人生ではない、自分だけの生き方を・・・。

旅を終えて、世界二周サイクリストの中西大輔さんに会った。
ソロ・アルピニストの栗城史多さんの講演を聴く機会もあった。
さらには、今年(2011年)1月に間寛平さんのアースマラソンのゴールへ応援に行くというチャンスも・・・。

冒険への夢は膨らみ続けた。

今年(2011年)1月21日にアドヴェンチャー・ランナーとして50歳で冒険家デビュー。

ランニング仲間を通じて人脈に恵まれだしたのはそこから・・・。
経営のプロといわれる人たちのサポートを受けてNPO法人を作ろうという話しがでてきた。自分が冒険を継続するようにするためのシステムを構築しようというわけだ。ビジネスという言葉とは全く縁遠い所にいた自分にそんな話しが浮上してくるとは思いもよらなかった。

PEACE RUN はそうやって規模を広げていく。 PEACE RUN テーマソング「Go The Distance」写真を見る

2011年9月3日: 一時帰国ボラボラ 写真を見る  JOBBBラジオ放送 写真を見る


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